土肥原 賢二(どいはら けんじ):
陸軍大将、在満州特務機関長)
明治16年(1883) - 昭和23年(1948)
陸軍士官学校(16期)、陸軍大学校(24期)卒業。昭和6年、奉天特務機関長に就任。満州事変の翌日には奉天臨時市長に就任。清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を首領とした満州国創立工作の中心的な働きをする。「帝国陸軍きっての中国通」と呼ばれ、欧米人からは「満州のローレンス」と畏怖されたが、性格は温厚、寛容。私欲に走らず、中国人や満州人の面倒をよく見ていたため、中国人からも篤い信頼を得ていた。特務期間畑を中心に要職を歴任し、陸軍士官学校長も務めた。